当事者からの目線を持つ、障害年金のエキスパート
昭和49年名古屋市生まれの春日井育ち。幼少期に長野の飯田に住んでいたこともあり、雪にまみれてかまくらを作ったのも良い思い出。小中高と同じあだ名で呼ばれて友達から親しまれて育つ。高校、大学では弓道部に所属。高校時代には県大会まで勝ち進んだ事もあり、二段の資格も取得。
金沢大学を卒業後、ヤマト運輸株式会社にて幹部候補生として入社。営業所運営や営業支援、新規プロジェクトの起ち上げなどに従事。
その後、職場の仲間と株式会社ハローネットを設立。専務取締役となる。小さな会社なので、社内の仕事は何でもやっていた。おかげで知らない仕事にぶち当たっても自力で切り拓くスキルが身についた。
ところが、働き過ぎや人間関係などから、そううつ病を発症。退職して何年間も引き籠もり生活へ。
充実の30代を棒に振ることになる。
自分の人生、もうダメだ、と思った。
けれども、その瞬間を機に世の中を見る目が変わっていった。一度、泥水をすすった自分だから出来る事があるのではないか。転んだ痛みは転んだ人にしか解らない。同じような境遇の人、もっと辛い人は沢山いる。自分の病気を踏み台にして同じような境遇の人たちの役に立てないか、と考えるようになった。
病も癒え始めた平成21年、社会復帰への第一歩として社会保険労務士試験を受験し、辛くも合格。平成22年10月に開業し、社会保険労務士として踏み出した。
病気の事もあったので、今度はゆっくり慎重に出発。行き先は社会保険労務士の独占業務である障害年金だ。
障害者の方の障害年金のお手伝いをするというこの仕事は天職だった。特に精神疾患にはめっぽう強い。なぜなら私自身がそううつ病の当事者なのだから。どんな苦労があって、何に困っているのかがよく分かる。お客様と同じ目線に立てるのは、同じ痛みを知っている者だけなのだ。
病気になると何が辛いかといって、それはお金だ。勿論、症状は辛い。それ故に働く事がままならなくなる。収入が途絶える。家族の世話になる。自由にお金が使えないのも辛いが、誰かに頼って生きるしかないという事実はもっと辛い。必然、卑屈になる。言いたいことも言えなくなる。社会からも遠ざかる。こうして世の中と断絶してしまう人のなんと多い事か。
そこから脱出する第一歩として障害年金はとても有効だ。ちゃんと自分名義でお金が入ってくる。生活保護と違って、自分が過去に掛けた保険を受け取るものなので何の引け目もないし、使い道の制限もない。
だから、上手く受給に至った時には、皆、笑顔になる。感極まってガッチリ握手を交わした事もある。それほど人生を左右する仕事であるだけに、気は抜けない。請求したら誰でも通るという訳ではない。残念ながら不支給です、という事もないわけではない。だからこそ、悔いのない請求を心がけている。あのとき、あの一言を入れていれば結果が変わったかも、とは思って欲しくない。言いたいことは全部言う。後悔のない全力の請求こそが仕事なのだ。
最後に座右の銘。「行くに径に由らず」(ゆくにこみちによらず)。裏道や小道を通らず、常に大道を歩く。正々堂々としたおこないの例え。障害年金の大道を行きたいと思っている。
特定社会保険労務士 渡邊 智宏
実績
・障害年金専門社労士として8年のキャリア
・特に精神疾患の請求を得意とする
・障害年金相談NPO「ねんきんカフェ」主催
・セミナー・講師実績
・支援者のための障害年金セミナー
・メンタルヘルス対策と労務管理のポイント
・企業法務の「読み・書き・そろばん」
・精神疾患における障害基礎年金・障害厚生年金の手続き業務の実態
・メンタルヘルスの一生と社会保険労務士
・精神疾患と障害基礎年金・障害厚生年金
・障害年金のいろは
・ストレスチェック制度導入後における企業のメンタルヘルス対策
・障害年金~ 「等級判定ガイドライン」の策定と実施
・人も組織も活き活き活躍、心の健康づくり
・寄稿
・集中連載!メンタルヘルス対策室(全3回)
・社会保険労務士が答える企業の労務管理
・ストレスチェックと健康経営