障害者だからこそ起業しろ! 「働く、ということ」

本日は、御用納め。
年末ということで忙しい雰囲気のなかですが、少し時間がとれたので、久しぶりに喫茶店にて読書するという贅沢をしました。

十万人に一人という難病で、自力でできることは「話す」こと、「指先を1センチ動かす」ことぐらいという重度障害者が、19歳にして社長になったという「寝たきり社長の奮闘記」。

非常に自分のテーマと重なっているので、本屋で見て、即買い、即読みしました。
常々、私も障害者、とりわけ精神障害者は起業すべきだと考えてきました。本書は、まさにその考えを実証してくれた方の体験記です。

養護学校を出ても、自分が働ける場所がないという事実に直面。だったら自分で会社作れば良い、という発想力と行動力。
しかも、その結論に達したのは19歳の青年です。恐るべし、です。

私自身も精神疾患を患っており、仕事でも同じような病気の方と接する事が多いのですが、皆さん就職には大変苦労されています。
治ってしまうか、それとも、症状が固定化してもうこれ以上は良くはならないだろうなと感じたあたりで社会復帰を志しますが、空白の職歴が大きな障害となって立ちはだかります。
人の本能として、何もせずにぶらぶらしている、という事には納得できないようで、それは自分自身の居場所を確保するという意味とほぽ同義なのだと思います。
その居場所というのは、別に会社に行って働くという事でしか得られないというものではなく、家事労働や勉学に励むといった事でも良いのです。
自分のやるべき事がちゃんとあり、そのやるべき事が身近な人から、そして自分自身から認められているという事が最大の問題です。
今の世の中では、それは、ほぼイコール会社勤めとなっています。少なくとも成人男性には。
そこで、女性はどうなんだとか言い出すと、ジェンダー問題とか出てきてやっかいなので言いませんが、少なくとも日本の成人男性は、この「会社勤め」という言葉に生涯、縛られているように見受けられます。
例えば、定年退職した事を考えてみると、家にも近所にも居場所がない。果ては定年と同時に離婚だ、なんて事も言われています。
会社勤めをいかに上手くこなすか、という事が日本人男性にとっての存在意義となっていた事で、うまく高度経済成長ができたという側面はあるものの、しかし、会社勤めなるものが一般化したのは戦後のたかだか半世紀そこらの歴史しかないのです。

それ以前は、会社勤め以外の選択肢があった。
普通に町の商店街で自営業を営む人がいて、職人さんもいて。
昔の方が良かったなどと言うつもりはありません。社会保障はしっかりしていなかったり、丁稚奉公とか割に合わない制度もあったりします。
そもそも職業選択の自由があったかどうかも定かではありません。
現代の方が生活レベルが高いのも事実です。
会社という組織は全く否定されるべきものではない。ただ、時代が変わったと。

精神障害者は起業すれば良いのに、という思いと同時に思っている事があります。
それは、職業としての自営業、というものが復活すれば良いのに、という思いです。
今、起業しよう、という人がいるとします。そうすると、余程の変わり者か、金の亡者と思われるかのどちらかです。
経営者の方々も、リスクを背負って一旗揚げたからには、サラリーマンよりも多くの所得を得なければいけないと考えています。
終身雇用の安定した生活を捨ててまでリスクテイクしたからには、それなりのリターンが得られて然るべき、という考えは極めて合理的です。
が、その前提は既に崩壊しています。終身雇用こそが日本の不景気の元凶とも言うべき状況になっています。

世界で生まれている新しいビジネスが、なぜ日本では生まれないのか、という議論がよく聞かれるようになりました。
もっと端的に、なぜiPhoneは日本では生まれなかったのか、と言ってもいいでしょう。
その答えは、iPhoneを生んだスティーブ・ジョブズという人を考えれば明らかです。
スティーブ・ジョブズが日本の企業に入っても、おそらく何の業績も上げられない事でしょう。
なぜなら、彼は「変わり者」だからです。
彼は協調性に欠け、ワガママだった。
その「個性」を貫いたからこそのiPhoneであり、Macintoshであるのです。
日本にスティーブ・ジョブズが生まれたとしても、既存の日本の企業からiPhoneは生まれなかったことでしょう。
別の新しい企業をひっさげて、新製品を世に問うたのだろうと思います。
全く新しい事を考える人を排除する組織というものは、日本だけの問題ではなく、どの組織でもある話だと思います。
しかし、日本には、「会社勤め」以外の選択肢が極端に少ない。そこが問題点なのだろうと考えています。
長期間の雇用は、人生を安定させますが、社会そのものも必要以上に安定させてしまいます。
どうも「起業=一攫千金」という構図は今の日本の発展を阻害しているとしか思えません。
もう少し、会社を起こすという事が一般になじんだ方が良いと思うのです。

さて、健康な人ですら、今後は自営業を営む人が増えるのではないかと思っている昨今です。いわんや、不健康な人をや、です。
マイノリティであれば、自分に都合の良い環境は自分自身で手に入れるのが一番合理的です。

会社が居心地が悪いのであれば、居心地の良い会社を作ればいい。
実に合理的。
その答えにたどり着き、自ら行動を起こした本書の著者には感服です。
実際問題として、健康で楽しい毎日を送っている健常者の方より、どうせ障害者雇用で就職したところで将来はたかが知れている、と開き直れる障害者の方が起業向きなのではないかと思うのです。
弱点があるからこそ、それを強みに変える事が求められます。
著者は、自分たちが障害者である事は弱みでもあるが、強みでもあると自覚しています。
障害者が自ら起業したという事にニュースバリューがある事を見抜いて、自ら新聞社に働きかけもします。
その当たりのしたたかさというのも、見習うべき点です。
自分の負い目を逆手にとる、というのは、言うは易く行うは難し。
そうそう簡単に自分のコンプレックスを赤裸々には語れないものです。
それこそ、まさに私の人生のテーマでもあります。

1年の終わりにこの本に出会えたのは幸運でした。
「障害者でも起業した」ではなく、「障害者だからこそ」起業した。
その一点にこそ、この本の最大の価値がある。
そして、それを可能にしたのは、スカイプであったり、Webページ制作業であったりというIT産業のたまものです。
これぞITの社会的活用の教科書ではないでしょうか。

 

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