厚生年金の支給開始年齢が、65歳から引き上げられようとしています。
金は破綻した」との指摘も(ニューストピックス編集部) – livedoor ニュース
厚生労働省は11日、厚生年金の支給開始年齢引き上げを提案した。政府は、国民の生活に直接関わってくる消費税やたばこ税だけにとどまらず、年金の支給時期を遅らせることで国費の節約を図ろうというのだ。
これに対して、賛否両論渦巻いているわけですが、私の意見としましては、もはや致し方がない処理かな、という諦めの気持ちが強いです。
以下、思いついた事を少し書いてみます。
「100年安心」の厚生年金の実態とは? 支給年齢引上げも止む無し
厚生労働省が100年安心と謳う試算は、何と年利4%で計算されていて、そんな高利回りが今の世で実現できる可能性は限りなく低いわけです。当然、厚生官僚もそのことには気づいているのでしょうが、国家無謬の原則により、「この制度ダメです」とは言えません。高度経済成長がとっくに終わり、「失われた10年」が既に20年にも至ろうとしている今、現状の給付を維持するのは絶対不可能。
今すぐ給付金額を下げるか、近い将来の受給年齢を引き上げるかしか方法はなく、人の心情として、嫌われることはできるだけ後回しにしたいという気持ちなのでしょう。
また、今すぐ改革すると、既に稼得能力を喪失してしまって久しい人達にとってはとても厳しい世の中になってしまい、食っていけない人も相当数出るでしょう。それらの不都合に対して、結局周り回って国が補填しなければならなくなるのは目に見えています。そうなってしまっては改革は改革でなくなってしまいます。社会に与える影響を考えても、後回しにするのは止むを得ないことだという風に思っています。
若年世代は年金をもらえるのか? 70歳まで働き続けられなかったら?
このままの調子でいくと、私(昭和49年生まれ)の年金支給は70歳くらいになってしまうでしょう。個人的に、その年齢まで全く公的年金がなく、働き続けなければならないと思うと気が遠くなる思いがいたします。心身ともに丈夫であればまだ良いのでしょうが、そのどちらにも自信がない身としては、歳をとっても元気でいられる保証はさっぱりない訳でして、病気でもしたらどうしよう、と思うのです。
そうしたらどうしようか、と自分の身に置き換えて考えて見るのですが、案外答えは簡単です。
つまり、働けないのだから「障害年金」を受給すれば良い、という事になります。
障害年金受給の判断に大きな影響を与えるのは「労務不能かどうか」です。何らかの疾病を患って仕事ができないとなれば、障害年金が支給される可能性が出てきます。70歳まで、というくくりで考えると、働けないほどの病気にかかる人は相当程度多くなるのではないでしょうか。
結局、70歳まで働ける人は働くが、そうでない人は、老齢年金の代わりに障害年金をもらう、という図式になりそうに思います。
支給年齢引上げ時代の今だからこそ、年金加入の意義がある!
そこで問題になるのは、国民年金の未納問題です。「将来の年金なんて当てにならない」というのが未納者の常套句ですが、年金支給年齢の引き上げに伴い、障害年金の支給年齢も引き上げられる訳ですから、むしろこの流れでいくと、障害年金は「当てになる」可能性が高くなるのではないでしょうか。
現実に、現行の制度でも、しっかり働いて厚生年金を払っている人が病気になった場合、65歳以上であっても障害年金は支給される可能性があります。ただ、国民年金は65歳までなので、金額的には老齢年金をもらった方が得な事が多いというだけです。
しかし、老齢年金の支給開始年齢が引き上げられれば、障害年金の対象となる年齢も引き上げられると考えるのが道理ですから、障害年金をもらえる人もそれなりに増えていくのではないでしょうか。
あまり気持ちの良い予測ではないですが、現在の障害年金と将来の障害年金では、その意味合いが違ってくるという可能性すら出てきます。すなわち、今は事故や不慮の病気に対応するもので、あまり身近な存在ではないが、将来は老齢年金をもらうまでのつなぎとしての障害年金として、高齢の方にとって身近になってくる、という社会。
「保険」という本来の役割が加入のインセンティブになる
そうなってくると、若い人達でも年金に加入するインセンティブになりうるような気がします。もらえない、もらえない、とばかり思っている人も多い年金制度です。が、金額を下げる方向ではなく、支給開始年齢を引き上げるという方策がしばらくは続くと予想するならば、障害年金としてもらえる可能性はぐっと広がるわけです。
しかも、高齢かつ障害状態という、まさに保険が贖うべき状態をケアしてくれるのですから、保険としても本旨に沿った制度になりうる、とも思えます。
厚生労働省も、そういう方向からアピールをすれば、もう少しは年金未納が減るかもしれないですよね、と思う今日この頃なのでした。