障害年金は“未来への投資”。うつ病で引きこもった私が、社労士として再生できた本当の理由

「障害年金をもらったら、もう社会復帰できないのでは?」
「“障害者”というレッテルを貼られ、人生が終わってしまうのではないか?」

そんな不安から、障害年金の請求に、あと一歩を踏み出せないでいませんか。
あるいは、「障害年金をもらうこと」が人生のゴールになってしまい、その先の未来を描けずにいる、ということはありませんか。

かつての私も、全く同じでした。
「障害」という二文字が持つ重さに、プライドが、世間体が、そして未来への恐怖が、心を縛り付けていました。

しかし、今の私なら、断言できます。
私がこうして社会保険労務士として、あなたの前に立てているのは、あの時、勇気を出して障害年金を請求したからに他なりません。

こんにちは。双極性障害の当事者として障害年金を受給し、現在は愛知県春日井市で専門の社労士として活動している渡邊智宏と申します。

この記事は、障害年金が人生の「終わり」や「ゴール」ではなく、あなたの未来の可能性に投資するための、最も賢明な「自己投資」なのだということを、私自身の再生の物語を通じて、あなたにお伝えするものです。

 

〈目次〉

 

はじめに:私が恐れていた「障害年金をもらう」という現実

今でこそ、私は障害年金専門の社労士として、日々多くの方のご相談に乗っています。しかし、かつては双極性障害と診断され、何年もの間、光の差さない部屋で引きこもる日々を送っていました。

そんな私ですが、自分自身が障害年金の対象になるかもしれない、という事実は、この仕事を始めてから比較的早い段階で気づいていました。
社労士として働いているとはいえ、かつての同僚たちのように、毎日フルタイムで、週5日働き続けることは到底できない。日常生活も、同居する両親に頼りきりの部分が多くありました。

同じような病状の方の請求を何人もお手伝いする中で、「今の自分の状態なら、障害厚生年金3級には該当するだろう」という専門家としての確信が、日に日に強まっていきました。

しかし、私は、その事実を知りながら、長い間、自分自身の障害年金を請求しようとはしませんでした。

なぜか。
知識としては、対象になりうることも、受給すれば生活が楽になることも、火を見るより明らかでした。十分に働けず、雀の涙ほどの収入しかなかった当時の私にとって、年金は喉から手が出るほど欲しいものでした。

それでも、ためらいがあったのです。
「障害年金」という言葉に含まれる、「障害」という二文字。
これを受給するということは、自分自身が「障害者」であることを、公に認め、受け入れるということです。そして、これからの人生を「障害者」として生きていく。そのことに、どうしても抵抗感があったのです。

病気である、という意識はありました。しかし、それが「障害」となると、話は全く別次元のように感じられました。
あなたも、今、この時の私と同じ気持ちなのではないでしょうか。

「障害年金をもらう」という現実を受け入れられない。その踏ん切りがつかない。
自分の人生が、どこかで失敗してしまったかのような、深い挫折感。
「普通の人間としてやってきた」という、捨てきれないプライド。
「障害者」として、世間から後ろ指をさされるのではないかという、根拠のない恐怖。

そして何より、「一旦、障害者としての道を歩み始めたら、もう後戻りはできないのではないか」という、漠然とした、しかし強烈な恐れ。

私の躊躇いの根源は、そこにありました。
不十分ながらも、なんとか仕事を再開できた。このまま頑張れば、いつかまた「普通」の生活に戻れるかもしれない。障害年金を受給することは、そのかすかな希望に、自ら水を差してしまうような行為に思えたのです。

あなたも今、同じように、失いたくないプライドと、どうにもならない現実の間で、揺れ動いているのではないでしょうか。

 

【第一部】絶望の淵で見つけた、一本の糸

「もうサラリーマンには戻れない」空白の履歴書が突きつけた現実

引きこもり生活から数年。薄紙を一枚ずつ剥いでいくような、遅々とした歩みではありましたが、私の症状は少しずつ改善の兆しを見せていました。そこで、私は、社会復帰という、当時はあまりに遠く感じられた目標に向けて、重い一歩を踏み出そうと考え始めました。

しかし、いざ「働く」という現実を前にした時、私の目の前に立ちはだかったのは、二つの巨大な壁でした。

一つは、長すぎる職歴の空白期間
仕事を辞めてから、傷病手当金で食いつないだ期間を含め、何年もが経過していました。一般企業に就職しようとすれば、面接官は必ずこう尋ねるでしょう。「この期間は、何をされていたのですか?」と。
「病気で休んでいました」と正直に言えば、雇ってもらえるはずがない。かといって、嘘をつくこともできない。私の履歴書には、取り返しのつかない、大きな欠陥が刻み込まれていました。

そして、もう一つの、より決定的な壁。
それは、「もう、元気だった頃の自分と同じようには働けない」という、紛れもない事実でした。

良くなったとはいえ、万全の状態にはほど遠い。しょっちゅう気分は落ち込み、動けない日もある。理由のない不安に苛まれる朝もある。
毎日決まった時間に起き、満員電車に揺られ、1日8時間、週40時間働き続ける。そんな当たり前のことが、当時の私には非現実的な挑戦に思えました。

この厳しい現実が、私に「もう普通のサラリーマンには戻れない」と、痛いほどに思い知らせたのです。

 

なぜ私は「社会保険労務士」を目指したのか

サラリーマンという道が閉ざされたと悟った時、私は途方に暮れました。
残された選択肢は、いわゆる「自営業」か「フリーランス」。会社という組織に時間を縛られることなく、自分のペースで仕事をコントロールできる。体調の波が激しい自分には、もうそれしかない、と感じるようになりました。

では、何をして生計を立てるのか。
そこで私の頭に浮かんだのが、かつて一度だけ興味を持ち、少しだけ勉強したことがあった「社会保険労務士」という資格でした。専門的な知識を身につけ、専門家として開業する。

引きこもり生活で、有り余るほどあったのは「時間」です。

「これに、賭けてみよう」

それは、絶望の闇の中で見つけた、一本の蜘蛛の糸のような、か細い希望でした。
道が決まれば、やるべきことは一つ。まず、資格試験に合格することです。

とはいえ、すぐに全力で勉強できるような状態ではありませんでした。資格専門学校に申し込む。ただそれだけのことですら、なかなか行動に移せない自分がいました。

それでも、一度申し込んでしまえば、授業は淡々と始まります。週に2回、1回90分。他の受講生は、仕事をしながら通っていました。しかし、当時の私には、その「週に2回、決まった時間に外出する」ということだけで、精一杯でした。

うつ病を経験した方なら、お分かりいただけると思います。この「当たり前」が、どれほど大変なことか。

まずは、学校に通うことだけに集中する。それが何とかできるようになってから、少しずつ、自分で勉強する時間を増やしていく。
そうして、徐々にペースを上げていき、最終的には、仕事をしていないという強みを活かし、1日中勉強に集中できるようになりました。

こうして書くと、当たり前のことを大げさに言っているように聞こえるかもしれません。しかし、病気からの社会復帰とは、これくらいゆっくり、焦らずに進めなければ、すぐに壊れてしまう、脆いものなのです。

その結果、試験には、本当にギリギリでしたが、合格することができました。
何もできなかった自分が、久しぶりに何かを成し遂げた。その事実は、失いかけていた自信を、少しだけ取り戻させてくれました。

 

【第二部】再生の時間を“買う”という選択

開業、そして自分のための障害年金請求という決断

試験合格後、一年間の通信教育を経て、私はついに、念願の独立開業を果たします。
しかし、それは、新たな苦しみの始まりでもありました。

開業したての社労士に、仕事などありません。ホームページを作り、研修に参加し、異業種交流会で名刺を配る。しかし、同期の仲間たちのように、がむしゃらに営業活動をするだけの気力も、体力も、私にはありませんでした。

「自分は病気だから、仕方がない」

その言葉を、言い訳のように心の中で繰り返しながら、仲間たちが仕事を増やしていくのを、焦りと羨望の入り混じった目で見つめていました。
無理をすれば、また壊れてしまう。分かってはいても、収入が不安定な現実は、容赦なく心を蝕んでいきます。

何より辛かったのは、経済的に自立できず、両親に頼らなければ生きていけない、自分自身の情けなさでした。いい年をした大人が、お金を稼げない。家庭の中で感じる居心地の悪さ。それは、病気の辛さとはまた別の、魂を削られるような苦しみでした。

「早く稼いで、自立したい」
しかし、焦れば、再発のリスクが高まる。
この、アクセルとブレーキを同時に踏むような、出口のない板挟みの中で、私は一つの決断をしました。

それが、自分自身の障害年金を請求することでした。

これまで、様々な理由から躊躇していました。しかし、このままでは、焦りから無理をして、全てが元の木阿弥になってしまう。そう感じたのです。

周りの仲間には驚かれながらも、私は、同期の社労士の友人の助けも借りて、なんとか請求手続きをやり遂げました。そして、無事、「障害厚生年金3級」を受給できることになったのです。

 

月5万円の年金が、私に与えてくれた「焦らなくても良いという”心のゆとり”」

障害厚生年金3級の金額は、人によって異なりますが、最低でも月におよそ5万円です。
この、月々5万円という定期収入が、当時の私にとって、どれほど大きな意味を持っていたか。

もちろん、それだけで生活できるわけではありません。しかし、その価値は、金額以上のものでした。

自分の仕事の収入とは別に、「定期的」に、「決まった金額」が、自分の名前で振り込まれる。
この、揺るぎない「安心感」

それは、生活費の足しになるという現実的な意味以上に、私の心に大きな変化をもたらしました。

これまでのように、両親に全面的に依存しなくてもいい。普段の何気ない買い物で、いちいち気兼ねしなくてもいい。この、ささやかな自立感が、失いかけていたプライドを、少しずつ取り戻させてくれました。

そして何より、この月5万円の年金が、私に与えてくれたもの。
それは、「焦らなくても良いという”心のゆとり”」でした。

収入への不安が和らいだことで、私は、目先の仕事を闇雲に追いかけるのをやめました。そして、じっくりと、自分自身と向き合う時間ができたのです。
「自分は、本当はどんな専門家になりたいのか?」
「どんなふうにお客様の力になりたいのか?」

この、障害年金が“つくってくれた”貴重な時間があったからこそ、私は、自分の経験を最大限に活かせる「精神疾患専門」という、今の道を見つけることができたのです。

障害年金があったからこそ、私は自分のペースを守り、無理をせず、着実に専門家としてのキャリアを築くことができた。
そう、障害年金は、私の未来への、何より尊い「投資」だったのです。

【第三部】障害年金は、あなたの未来への「投資資金」になる

私の話は、障害年金が「未来への投資」になった、たった一つの事例にすぎません。
この制度は、単に目先の生活費を補填するだけでなく、あなたの未来の可能性に投資するための、貴重な「資金」にもなり得るのです。

あなたなら、この資金を、何に使いますか?

選択肢①:「学び直し」の時間に投資する

私がそうであったように、新しい資格取得やスキル習得のために、安心して勉強する時間を確保できます。焦らずに自分のペースで学べる環境は、回復途上の心身にとって、何よりの味方となってくれるでしょう。

選択肢②:「心身のリハリビ」に投資する

すぐに社会復帰を目指すのではなく、まずは安定した収入を確保した上で、その先のキャリアをじっくり考える。少し体調に余裕が出てきたら、短時間のアルバイトやボランティアなどから、社会と繋がる練習をする。そんな貴重なリハビリ期間を手に入れることができます。

選択肢③:「新しい挑戦」に投資する

ずっとやってみたかったけれど、収入の不安から諦めていたことに、挑戦することもできます。趣味や創作活動、あるいは小規模な起業。障害年金が、あなたの夢を支える、最低限のセーフティーネットになってくれるのです。

 

まとめ:あなたの可能性を、諦めないために

障害年金をもらうということは、自分自身を「障害者」という枠に、永遠にはめ込んでしまうことではありません。
むしろ、今、あなたを縛り付けている「稼がなければならない」という強迫観念から、あなたを解放してくれる、一条の光となり得るものです。

障害年金は、人生の「終わり」を告げるものではありません。
それは、これまでプレッシャーで塗りつぶされてきたあなたの人生に、「新しいことを考えてもいい時間」という、美しい“余白”を作ってくれる制度なのです。

「これまでと同じようには働けない。けれど、新しい形でなら、まだ輝ける」

どうか、ご自身の可能性を、諦めないでください。
私の仕事は、その未来への「投資」を、あなたが確実に受け取れるよう、お手伝いをすることです。

私がそうであったように、障害年金という光を手に入れ、あなただけの物語の、第二章を始めてみませんか。

 

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