【映画】風立ちぬを観て【感想】

本日、遅ればせながら宮崎駿監督の「風立ちぬ」を観てきました。
もうとっくに興業は終わっていると思っていたのですが、試しに検索してみたらミッドランドで1日1回だけ上映しているのを発見。早速出向いてみることにしました。

IMAG0043

完全に時期を外しているので、チケットも楽々取れますし、なにより空いていて非常に快適に観ることができました。何しろ私の座っているシートの横一列で他に座っているのは一人だけというくらい空いています。
鞄や上着などを横の席に載せ、椅子の上であぐらを掻いても何等問題になりません。横幅がでかい人間はこういうのがたまらなく嬉しく得した気分になってしまうのです。

さて、本題の中身です。賛否両論があるのは知っていましたが、少なくとも戦争関連の右とか左とかの話は大筋で関係ないものだと感じました。
私が感じたのはワーク・ライフバランスとでもいう感じのことで、特に重篤な病気を抱えた人とその家族はいかに生きるべきなのかというテーマでした。
主人公の堀越二郎と妻の菜穂子の生き様です。

菜穂子は結核を患っており、高山治療が必要な体でした。一方の二郎は子供の頃からのライフワーク、飛行機の設計を人生の一大事業と考え邁進している技術者です。
菜穂子の病気を最優先する場合、二郎は職を辞し付き添わなければならなくなります。現代的価値観から言うと、そうすることが麗しき夫婦愛の形、であるとされそうです。

しかし、この夫婦はそれを選びませんでした。

二郎は夜遅くまで設計の仕事をし、家にまで持ち帰り残業をしています。菜穂子の体調の良いときに結婚し幸せに暮らしますが、二郎の仕事に目処がつくと高山治療の為に再び遠くの病院へ入院します。明示的には語られませんが、そのまま菜穂子は亡くなったのでしょう。劇中では、夫には美しい時だけを見せたかったと言われております。おそらく、結婚生活は相当にハードで菜穂子の身体を蝕んでいたのでしょう。治療に専念するというよりは終末医療に向かって行ったという所でしょう。
現代的な価値観を以て図ると、二郎は仕事を制限してでも菜穂子の病気の治療に向かうべきだったということになるのかも知れません。が、この物語の中で二人はあえてそれはせず、楽しい日々の1日1日を大切に生きるという方を選択しました。

物語のラストシーンは空想の世界ですが、それはキリスト教の「煉獄」なのだそうです。キリスト教に疎い我々にはなじみがありませんが、これは、天国には行けるのだけれども、100点満点の合格で天国にいける訳ではないので、その差の分だけ浄化しなければならず、それを過ごす為の場所なのです。そういえば煉獄の炎で焼かれるみたいな表現がありますが、これはその炎で浄化するという意味のようです。宮崎駿監督としても、やはりこの二人の生き方は100点満点で天国に行ける生き方ではないとしながらも、さりとて地獄行きになる不埒な生き方ではないと考えているのでしょう。天国と地獄の間くらいのそこそこ良い生き方だったという評価です。

まだまだ消化不良なのですが、私は観ていてもこの生き方が良いのか悪いのか判断できませんでした。だらだらと延命を続けるくらいなら一瞬光り輝く人生を送るというと聞こえは良いのですが、生死を分かつような病気をもった人がそのように思えるのかどうかはまた別の話のように思えます。

そして、菜穂子の立場を想像するととても辛く切ないものに思えます。自分の身を考えると夫の人生の夢を折ってしまうことになる。しかし、夫の夢と結婚を両立させると自分は早晩死んでしまうことは確定的。この立場に立ったとき、どちらかの生き方を人は選択できるものなのでしょうか。結婚する前から菜穂子は結核を患っており、人生が長いものではないと了知しています。その上で、自分の存在が二郎の足かせになるかも知れないと知りつつも、二郎との結婚を躊躇いません。むしろ菜穂子の方からアプローチをかけているように見えます。私の中ではこれすらも驚異的に思えてなりません。自分自身も将来がどうなるか全く想像のつかない病気を抱えている私としては、そのことが人生にとって大きな影を落としているという実感があり、とても菜穂子の様には生きられないと思いました。そこまで好きな人ができれば、自分の死に至る病すら障害にならないのでしょうか。現在の私ではそこが理解できない領域でした。
ですから、自らの死と引き替えに光り輝く一時の幸せをとるか、療養して長い時間を過ごすことを摂るのかという究極の選択に答えを出すということ、もしくはそれを考え悩むということすら想像できない領域なのです。

このように、私には身に迫るものがある分だけ、たとえそれが菜穂子のそれに比べて重たい病気ではないとしても、病気を抱えて生きるということの苦しさというものを感じざるを得ませんでした。昨今、ワーク・ライフバランスを考えて生きましょうなどと簡単に言われています。けれども、こういったケースを想像したとき、単に病気を治す、又は延命するという人道的な選択をすることが必ずしも正しいことではないのだということを了解して語られているのかということに疑いを感じさせられる話でした。この物語の中で、もし仮に二郎が職を投げ打って菜穂子の治療に専心したとして、それは菜穂子にとって福音になったのかというと、到底そうは思えません。むしろ、そのような選択をする人であれば結婚相手にすらならなかったかも知れません。
そして、この時、ワーク・ライフバランスを考えて決断しなければならないのは、働いている二郎ではなく、菜穂子であるということがさらに悩ましいのです。自分一人の人生でなく、二人分の人生の選択を病身にありながらしなければならないというのはとても辛いことではないでしょうか。

病気であるというただその一点でも大変なことであるのに、世の中は、今も昔も変わる事なくそれ以外の人生の決断を迫ってくるものなのでしょう。単なる病気の辛さ以外の辛さ。このことに思いを馳せざるを得ない映画で、菜穂子の病気のカミングアウト以降、終始辛い気持ちで観ざるを得ませんでした。

もっと他にも観て考えるものがあるのでしょうが、とにかく私自身の人生の問題設定とすっかりかぶってしまっていたので他の点にはさっぱり気が向きませんでした。もう少し時間が経って、もう一度観てみたら感想も代わるのかも知れません。DVDが出たらもう一度観てみようと思っています。

 

無料相談ご予約・お問い合わせ

 

ページの上部へ戻る

トップへ戻る

電話番号リンク 問い合わせバナー