Archive for the ‘雑記’ Category

ついカッとなってやった。後悔はしていない。 〜MacBookAir買いました

2012-07-05

MacBookAir

ふと気づいたら・・・

MacBookAirを買いました。ほとんど衝動買いです。
いや、前から欲しい欲しいとは思っていたし、そのうち買うつもりではあったのです。しかし、このタイミングとは思っていなかったと言うか、アップルストアの店員が巧妙すぎるのです。


AppleStore、その巧妙な手口

iPhoneのホームボタンの調子が悪くなったので、とAppleStoreに足を踏み込んだのが運の尽き。
せっかくアップルストアまで来たのだから、とMacBook売り場などをうろついたのです。そしたら、店員さんがにっこり笑いながら近づいてきました。

マックいかがですか?と。アップルストア栄
そして、続けて言いました。


「お似合いですよ!」


我が耳を疑いました。


コンピューターショップの口説き文句として「お似合い」という言葉があるとは思いもしなかったのです。そんな台詞はユニクロでしか聞いた事がありません。

お似合いですよの一言は衝撃的でした。


この一言でグッとMacを買う気になってしまったのです。
それから毎日のように、Macが欲しい、Macが欲しいと夜通しうなされる事に・・・はなっていません。元から欲しかったので。
しかし、それがきっかけとなり、その一週間後、Mac謹製の大きめな袋を抱えて帰る事になったのです。



斬新な「お似合い」商法

パソコン売り場をウロウロとうろつくのが大好きで、かれこれ十数年間、何度も店員に声をかけられ続けていましたが、当該コンピューターが自分に似合っているかどうかという説明を聞いた事がありません。


CPUが何だ、メモリーは何だ。重いです、軽いです、薄いですと言った話は何度も聞きました。


便利です、使い勝手がいいですという話もあります。

良いデザインでしょ、と言われる事もたまにはあります。



しかしながら、それを持つ事が私にとって似つかわしいかどうかという議論はかつて聞いた事もありませんし、また、そのような事を自分自身で考えた事もなかったのです。




ライフスタイルを変えるという事の意味

Macとか使うとライフスタイルまで変えますよ、とかよく聞く台詞です。

しかし、それはあくまでコンピュータを使う場面を前提に、その周囲の話だと思っておりました。しかし、アップルストアの店員の言う事は全く違う切り口だったのです。


それを持っていると「あなたが」カッコイイですよ、と。


なんとも人の心をくすぐる言葉で攻めてくるものです。

パソコンを使っている場面、それ以外の局面すら変えてしまう力がある。それこそがAppleの言っている「ライフスタイルを変える」という事なのではないでしょうか。



なかなか言えない「お似合い」という台詞

まあ、実際のところ、スタバとかオシャレなcaféとかで得意顔でMacを使っているのを見ると、「自分に酔ってるんじゃね?疑惑」が浮上してくるように、Mac使ってる自分カッコイイ的な感じはあるでしょう。
しかし、そういう感覚を肯定し、臆面もなく、そういうのが似合ってますよ、と言っている訳ですから恐れ入ります。


なんつうか、そう言われて悪い気はしないのです。自分が本当にMac使ってカッコイイかどうかはもはやどうでも良い事なのです。私のハートはその言葉に鷲づかみにされてしまったのです。


恐懼すべきは、自社の商品を客に勧めるに当たって「お似合いですよ」と言わしめたApple社の恐ろしさなのであります。



ブランド その巨大なる破壊力

かつてのライバル、ソニーですらお似合いですよと勧めたりはしなかった事でしょう。


ぶっちゃけた話、例えばDellのノートパソコンを持っている事がカッコイイですよ、と言われても、全くグッとくるものはありません。むしろちょっと皮肉めいた意味まで感じてしまいかねません。
断っておきますが、Dellのパソコンをdisってる訳ではないですよ。むしろコストパフォーマンスに優れたよいパソコンです。メインのデスクトップはDellですし。


ただ、Dellを使っているあなたがカッコイイと言われても嬉しくない、というだけの事です。


この商品持ってるとカッコイイですよ、ステータスですよと言い切ってしまい、それがなるほどと説得力を持っているこのブランド力。


翻って、私自身の提供しているサービス、例えば就業規則を説明している局面で、「この就業規則、お似合いですよ」と言ったらどうなるかを考えればその恐るべき破壊力がご理解いただけると思います。


なるほどこれがブランドというものか、と恐れ入った次第なのであります。






と言う訳で、これがMacからの初投稿です。ご祝儀的にMac礼賛記事を上げてみました。

足と脳は神経でつながっているのです

2012-06-24

今、障害年金用のリーフレットを作成しておりまして、その原稿を考えているのですが、これが中々に難しいものです。
最初に、こんなものかな、と叩き台的なものを書いて、デザインラフを起こしてもらいました。そうして改めて形にしたものを見てみると、これがさっぱり納得がいかないのです。
どうにも説明くさい。
というか、完全に「説明」になってしまっていて、まるで役所のパンフレット。
これを見て、よし、障害年金を頼んでみよう、という気になるかというと甚だ疑問なのです。

 

文書やレイアウトなどの推敲に一週間の時間をもらい、明日がそのリミットです。そういう訳で、今日もコメダコーヒーに立て籠もり、紙を前にうんうんとうなっておりました。

散々あれこれ書いた挙げ句に、ようやく自分の文書が「説明」にしかなっておらず「説得」的でない事に気づき、書き直しを始めましたが、時、既に遅し。

体力の限界。

脳みそが豆腐のようにグニャグニャになってしまって、それ以上進まなくなってしまいました。

 

これまでコメダは最高の外部事務所だと思っていたのですが、今日、一つの欠点に気づいてしまいました。

思考が停まってしまった時に歩いてウロウロとほっつき歩けないという事です。

私は昔から仕事に詰まるとそこら中をウロウロと歩き回って考え事をする癖がありまして、それで同僚などからは「熊のようにうろつくな」と苦情などをいただいておりました。さすがに喫茶店でウロウロしていたら不審者なのでこれができないのです。そうすると、足が動かないから頭も動かない。

どうやら足と脳みそは連動しているらしいですな。

 

そんな訳で、相も変わらずリミットギリギリの明日にかけるという、毎度おなじみ崖っぷち作戦。

ものをつくる事の難しさを痛感している日曜午後8時なのでした。

足助、伊勢神方面へドライブしてきました

2012-05-14

ゴールデンウィーク中、久しぶりにドライブに行きました。
初夏の風がオープンカーには気持ちの良い季節です。また、ドライブ熱に火がつきそうです。

てんかん問題、再考 患者の生きる手段が奪われる!?

2012-04-21

てんかんネタ、Again

先日、てんかんについての記事を書きました。

それ以降も、ネットの中ではてんかんについての情報があふれています。特に、てんかん患者自身からの意見には注目に値するものが多くあります。

中でも、とても共感したものは、はてなダイアリーのthir氏の記事、「てんかん患者からの免許はく奪はより深い意味を持つ」です。
ここでは、てんかん患者の運転免許規制をする事で、てんかん患者に与える深刻なインパクトについて書かれています。

てんかん患者の運転免許規制をする帰結としての社会崩壊

絶望
てんかん患者の自動車運転免許を規制する事によって、社会にどのような影響を与えるのでしょうか?

それは、「今、なんとか普通に生きている多くの患者の生活が暴かれ、奪い去られる危険」です。

そのことを示す前に、まず、てんかん患者をはじめとする精神疾患患者などがどのような日常を送っているのか、という確認が必要です。

「クローズ」な生き方って知ってますか?

仮面
thir氏の記事から引用します。

てんかんに限らず、慢性精神疾患やエイズなど告知によって差別・偏見を受ける疾患は多数存在する。そういった疾患を持つ者は、多くの場面において自らが病気であることを自分から話さない。それは、就職の際にも同様である。告知せずに就職をし、雇用主からクリティカルな質問を受けない限りは病気を隠し続ける——これが「クローズ」(クローズド)という生き方である。

「クローズ」という生き方を選択せざるを得ない人々というのは、現に多数存在しています。
てんかんについて、たいした知識もない私ですが、こと「うつ病」(「そううつ病」も含みます。以後も断りがなければ「そううつ病」も含むと思ってください。)という事になれば、実体験を持っています。大勢のうつ病患者の知人もおります。

それらの中で、おおっぴらに自分が「うつ」だ、と宣言している人はどれほどいるでしょうか?
ごく親しい人には告げることもあるでしょうが、広く一般社会に対して自分が精神疾患であるという事を「開いて」いる人はほとんどいないと思います。

 

個人的体験としての「オープン」

私自身について言えば、かなりオープンにしている方だと思います。
精神疾患向けの障害年金のセミナーなどでは、まず、自分がそううつ病であるという告白から始めています。

そういうオープンな発言について、自分自身にひっかかりがないかと言えば、全くそんな事はないのです。できる事なら人には言いたくない。なんでもないような顔をして生きていきたいと思っています。

いぶかしむなぜなら、うつ病である、と明かした途端に自分に向けられる眼差しは色を変えてしまうからです。
少なくとも、患者本人の感覚からすると、そういうフィルターがかかるのだろうな、と言う恐れは常に抱いています。

しかし、私は、自分自身の不幸を切り売りする事が、自分の仕事を成功させる上で役に立つという思惑と、うつ病そのものに対する見方を少しでも変えていきたいという思いがあります。

「私もうつ病です」という一言の巨大なインパクト

説明
うつ病を6年近くやっていると、多くのうつ病の人に会う機会があります。プライベートで会う人もいれば、仕事上のつながりで知り合う人もいます。彼らに、「私もうつ病です」と一言告げるだけでとても強い共感を共有する事ができます。

なぜか?

それは、彼らは常に健常者に対して負い目を感じ、自分自身の病気に関する事はできるだけ伏せて生活しているからです。世間とのそういう関係の中にあって、同じ病気の人に出会うと、とても「安心」するのです。
それはとりもなおさず、日常会話の中では、あからさまに語る事のできない様々な悩み、苦労について、偏見を心配することなく、素直に語り合う事ができるからです。

うつ病患者同士であれば、「私もうつ病です」はマジックワードと言ってもいいでしょう。この一言を告げた瞬間、それまでの緊張は嘘のようになくなります。そこからは「仲間意識」すら生まれてくるのです。

「オープン」と「クローズ」の狭間で

事ほど左様にうつ病患者は、自身の病気についてコンプレックスを抱いているのです。
それは健常者には中々理解できない事でしょう。

私はそういう偏見は持っていない、と言う方も大勢いらっしゃいます。幸いな事に、私の身近な人たちも、うつ病について色眼鏡で見ようなどと考えている人は皆無です。皆、とても優しく、気を遣ってくれます。その善意は疑う余地はありません。

しかし、詳細に話したところで解ってくれるとも思えない。変な誤解を生むだけかも知れない。そういう不安を抱えています。

不安

初めて会う人に対して、自分の病気について、話していいものかどうかは本当に心剣に悩みます。

自分の仕事を説明する上で、踏み込んで話をできる場合は、是非もなく話す、という事にしています。この場面では、なぜ自分がこの仕事をやりたいと思っているのか、という思いを相手に伝える事が最も重要な要素だと思っているからです。そして、なぜやりたいのか、と言う理由の根本は、自分のうつ病体験にあるからなのです。

しかし、ちょっとした知り合いに対する態度については未だに迷いがあります。
同業の社労士にはできるだけオープンに話すようにしています。なぜなら、彼らはメンタルヘルスという問題に近しい職業だから、その実態について、是非生の声を聞いておいてほしいと思うからです。

しかしながら、これもいつでもどんな時でも言えるのかというとそうでもないのです。
まず、この話題を出せる雰囲気があるかどうか、と言う事です。親睦会でみんなが楽しくやっている中で、「オレ、うつ病なんです」と切り出した日には、その場が凍り付きかねません。「オレ、腎臓の病気なんだ」と切り出した時は、その場は凍り付く程の気温の低下はないにも関わらず、です。

社会生活を営む上での必須スキル「クローズ」

最も重要な局面としては、就職の面接です。
まさか、「うつ病で2年間療養してきましたが、最近良くなってきたので働こうと思って・・・」と面接で言う訳にはいきません。

と言う事は、自分の病気の事を一切秘匿して就職し、良心の呵責に耐えるという苦行を一生背負わなければならないのです。その上、ばれたら首になる、という恐れもあり、日常の精神活動への気配りは健常者が考えているものとは次元の違う重さがあります。

それでも、そういうリスクを背負ってでも、一般社会に溶け込んで行かなければ、今の日本という国では一ヶ月として生きていく事はできません。
そういう仕組みになっています。もしくは、そう仕組みになっている、と患者は思っています。

障害者の心に福音をもたらすような社会制度はありますか?

もちろん、障害年金という制度があります。
私自身、それを精一杯お手伝いする事で、その人の人生の負担を少しでも軽くしたい、と思っています。

しかし、現実の厚生労働省の対応として、精神疾患の障害年金の支給は少しずつ絞っていこうという傾向が見られます。ただでさえ十分とは言えない年金ですが、それすら受給できなくなる人が多くなりそうです。

年金をあきらめたら、残されるところは生活保護のみです。こちらも各市町村の財政状況が極めて厳しいなか、どれほど受給し続けられるかというのは大きな問題となっています。

壁
何より、それら経済的な問題を解決したとしても、それでも尚、世間体、と言う大きな壁が存在しているのです。

自分が「障害者」である、という事実を受け入れるのには、相当な時間と覚悟がいります。さらに、障害年金で社会からお金をもらって生きるしかない、と悟った時の絶望感というのは何とも言えない悲壮さを漂わせます。それは体験すると、文字通り「死にたく」なにます。

仮に、障害年金又は生活保護を受給できたとしても、その額は微々たるものです。そこから、人生が上向きになる事はない、と知る事。これも精神的に相当苦しいものがあります。

こうした大量の障害を乗り越えて、初めて「オープンな病人」を気取る事ができるのです。

中々できませんよ。

そんな苦労とリスクを背負うくらいなら、ウソついて会社に就職した方が楽ですし、お得です。
クローズにしなければ、人並みの生活はあきらめなければならない、という厳然たる事実がある訳です。

thir氏は言います。

「クローズ」においては、病気にり患している事実を徹底的に隠し続けなくてはならない。ゆえに、一般的な「健常者」が出来る業務は同様にすべてをこなすことが可能であること、履歴書上健常者となんら変わりないことを表明する必要がある。

そうする事でようやく人並みの生活を「目指す」事ができる。それが精神疾患の患者の見ている「世界」です。

てんかん患者運転規制で起きる小さな悲劇

絶望
そうした現実を踏まえた上で、免許規制が実施されたらどうなるのか、と言う事を考えましょう。

再びthir氏のブログからの引用です。

当然「運転免許を取得することはできない」ということを雇用主に対して表明しなくてはならない。その表明の際は、おそらく「なぜか」と問われるだろう。この質問に対しては、もはや素直に「てんかんを持っているので…」と回答するしかない。この瞬間に、かぶっていた仮面は剥がされ、崩れ落ちる。

 

運転免許証を規制した場合、できなくなることは「運転」だけではない。「クローズ」という生き方そのものが危険にさらされる。

たかが自動車免許一つによって、世間の目をごまかしながら何とか通常の生活を獲得しようともがいている人たちの、たった一つの盾はあっさり取り払われてしまいます。
むき出しになった患者は、もはや一般社会に溶け込む事は事実上不可能です。

ユートピアはあるの?

差別のない社会を創ろう、などという美辞麗句を並べる人もいるでしょう。

でも、それは無理なんじゃないですか?
だって、外見では中々解らない病気で、しかも発病したときどんな状態になるのか想像がつかないんです。
どこかが痛いとか、身体の機能が異常を来すとか、そういうものはほとんどなく、行動力がなくなる、とか、感情がかき乱される、とか、当事者以外は「想像で補う」しかない症状なんですね。

背中
人の想像力なんてたかが知れています。
私は親しいウツ友と、「同じウツでも、あんたの苦しみはさっぱり解らん。同じうつ病なのに、ね。人間は本当にわかり合う事はできない。立場を想像するしかないんだよね。」という会話を繰り返していました。
同じような時期に、同じ病気にかかり、ほぼ毎日顔を合わせていた2人が、共通の認識として、「あんたの苦しみは解らん」というものだったのです。

況んや健常者には「想像」する事すら難しい事なのだと思います。

そういう事は、別に「うつ病」だけに限った話ではなく、どんな病気についても同様なんだと思います。
HIVとか、肝炎とか、世の中には沢山偏見にまみれた病気があります。それらのフィルターすべてを取り払ったユートピアというものは想像上の産物でしかないのです。

最後に、もう一度thir氏のブログを引用します。

差別がなくなることが最も良いことである。それは、てんかんという病それ自体への偏見がなくなり、職場についても運転はさせないとか、そういうものである。ただ、私はこの国でそういう文化が根付くのかと言われたら、根付かいと言わざるを得ないと思う。履歴書に一つでもキズがあると渋るような経営者が大多数を占めているこの国の上位層が、「キズ」のひとつである精神疾患・脳疾患にたいして寛容になることはおそらくありえない。私は社会的な差別は一切なくなるべきだと思う。しかしそれは残念ながら理想論だ。私は理想論を語りたいのではない。理想論はあくまでも理想であり現実で今苦しんでいるものにとっては、それ自体が苦痛でしかない。
それでも!それでもだ、そういった「社会的偏見はなくならない」という状況の下で、クローズという生き方を行えば、普通の暮らしがおくれるのだ……これだけは最低担保しておくべきである、それが私の主張である。

 

社会と個人の軋轢の中にあって

軋轢
てんかん患者の自動車事故については、深刻な社会問題であることは疑いもない事です。

実際、てんかんが原因で、または原因と思われる事故が発生していることに変わりはありません。それをなんとかせずに放置することは社会正義に悖ります。
その議論が盛んになることは、社会全体としてはよいことでしょう。

しかし、それは社会の構成員である個人として、すべての人に福音をもたらすものではない可能性というものがある。
むしろ、これまで無難に生きてきた基盤を根こそぎ剥ぎ取り、暗闇の世界に追い落とすことにもなりかねない。

そういう事実もあるということも又知った上での議論になってほしいと思っています。

蛇足ですが・・・、改めてネットってすげぇ

最後に、蛇足ながら付け加えると、こうした事件についていろいろ考える上で、やはりインターネットというものの存在はとてつもなく重要な存在になったようです。

20年前の世界であったなら、マスコミ発表の「てんかん患者による悲惨な事故」が主題となり、「かわいそうな罪もない被害者」という対象がクローズアップされ、これからてんかん患者の運転免許の規制についての話をしよう、と世論は一義的に誘導された事でしょう。

今、ブログ、Twitter、Facebookといった各種発信メディアがあるおかげで、マスコミからはにじみ出てこない、様々な立場の専門家、当事者の意見を聞く事ができる世の中になりました。
その結果、世の中は全く単純ではない、という事に気づかされ、安直な結論を導き出そうという風潮が、まさに衆愚政治となりかねない危険を孕んでいる事を痛感させられるのです。

インターネットという未曾有の情報化ツールを得た現在、もっと様々な立場の人の主張をしっかり聞き取れる社会になってほしいと切に願います。

あしたの障害年金セミナー開催!! 稲沢市総合文化センターにて

2012-03-31

3月24日に、稲沢市総合文化センターにて、「支援者のための障害年金セミナー」と題したセミナーを開催!!大好評のうちに無事終了いたしました。
セミナー修了後も無料の相談会を開き、こちらも多数ご参加いただき、時間いっぱいまでお話をさせていただきました。
さらに、地元のボランティアさんから勉強会の講師としてお願いしたいという嬉しい申し出まで!

セミナーの様子は以下の動画でどうぞ。

今回は、「以外と出るらしい」、「専門家に相談を」、「5年以内に」の3つをキーワードに、障害年金の仕組みと注意点をお話しました。

精神疾患には誤解が沢山

障害年金というと、身体障害者や知的障害者の方だけが対象だと思われがちですが、うつ病や統合失調症などの精神疾患も対象となります。ところが、まだまだ世間では精神疾患は病気ではないと思われがちです。そのため、本来、障害年金を受給してゆっくり養生すべきはずの人がもらえずにいる事が往々にしてあります。
多くのうつ病患者は、自分が障害年金の対象となる可能性すら考えていません。また、世の中の雰囲気も同様です。
しかし、精神疾患は身体・知的障害と同様に独立した生活を難しくする、大きな病気です。

社会保険労務士として、また、同じ精神疾患の患者として、この事態は看過できません。
できるだけ多くの人に精神疾患の障害年金を知ってもらい、1人でも多くの人が障害年金を受給できるようにしたいと思っています。

今日の事ではなく、あしたの心配を

今すぐ障害年金を請求しないとしても、長い人生の中では何が起こるか解りません。今は生活ができていても、後から事情が変わる事もあるでしょう。むしろ、後々までなんら環境が変わらない事の方が珍しい事だと思います。いざ、その時に慌てても手遅れになる場合が沢山あります。その時に備えて、障害年金という制度の知識を仕入れ、心の準備をしておくだけでも大きな違いを生みます。
例えば、最初に行った病院が分からないと障害年金は請求できません。そんな事は覚えているとお思いでしょうが、5年、10年、あるいはそれ以上の時間が経ってしまうとそんな記憶すらあやふやになってしまいます。そのために、実際病気で苦しみ、生活もたち行かなくなっているのに障害年金を請求する事すらできないという事例には事欠きません。
そんな事態を防ぐためには、障害年金という仕組みがどんなものなのか、将来のために何を知っておけばいいのか、何を準備しておくべきなのか、そういう事を多くの人に知ってもらいたいと思い、セミナーを開催しました。

まず動いてほしいのは・・・

ただ、多くの精神疾患の患者さんは、自分から動く事ができない場合が多くあります。うつ病などは、そういう自発的な行動ができなくなるというところが病気なのですから。
そうすると、患者さん本人に訴えかけるよりも、まず先に、その周囲の方々、家族の方、NPOなどのボランティア、民生委員など、患者さんを支援する立場の人に知ってもらう事が大切だと考えました。
多くの患者さんに接する機会のある支援者の方が、障害年金の可能性を示唆してくれるだけでとても大きな効果があると思います。

今後も、いろいろな場所でこうした無料のセミナーを行っていこうと思っています。
また、障害年金の請求事務のご説明については無料で相談を受けています。
ご興味のある方は、是非お問い合わせください。

お問い合わせはこちらから>>>

そろそろ確定申告の準備を

2012-02-17

確定申告の時期が近づいてきています。そろそろしっかりと準備をしないと間に合わなくなってしまいます。
準備第一弾として、とりあえず青色申告用のソフトを購入しました。「やよいの青色申告12」です。

最近はこういう買い物はとても簡単にできるようになってきてとても助かります。iPadでAmazon専用アプリを使うと、寝そべったまま商品検索から購入・支払手続きまでできてしまいます。それも1分もかかりません。

完全にAmazonの戦略に乗せられてしまっているのですが、この便利さは病みつきです。AmazonがKindle fireを赤字前提で販売するのもうなずけます。こんなに便利ならあっと言う間に赤字分なんて回収されることでしょう。
時代はどんどん変わっていきますね。

Posted from するぷろ for iPhone.

省庁が省庁に指導!?  総務省が厚生労働省に改善勧告

2012-02-02

総務省が厚生労働省に改善勧告を出す、というよく解らない事態が起こっているようです。

ハローワーク:相談の7割、記録なし 改善を勧告--総務省抽出調査

 公共職業安定所(ハローワーク)の職業紹介業務を巡り、求職者から相談を受けながら、内容を記録していないケースが相次いでいることが31日、総務省の調査で分かった。全国545カ所のハローワークのうち31カ所で求職者930人、1395求人について抽出して調べたところ、延べ1万682件のうち71%に当たる7589件で、職業相談の内容や求人紹介に関する記録がなかった。総務省は同日、厚生労働省に改善を勧告した。

 職業紹介や職業訓練の相談を受けた場合、担当者がシステムに具体的な内容を入力することになっているが、日付だけの記録が相次いだ。このほか、求職者の「希望勤務地」を把握していない事例が29カ所117人あった。総務省が全国のハローワークに関して改善勧告を行うのは初めてで、「基本業務の一層の徹底が必要」と指摘している。

どうやら、ハローワークの仕事ぶりがあまりにもお粗末なので、総務省が調査に入り、その杜撰さに驚いて勧告を行ったという事のようです。
リーマンショック以来の不況に加え、震災・原発問題など、ますます悪化する雇用情勢の中、仕事探しの中核を担うハローワークがキッチリした仕事をしていないとは、何とも嘆かわしい事です。しかも、それを他の省庁にすっぱ抜かれて勧告を受けるというのですから、厚労省としては恥の上塗りです。
年金問題も解決していないまま、ずるずると来ている今、厚生労働省に組織としての自浄作用が備わっていないのは明らかでしょう。

そして、何より問題だなと思うのは、このニュースを聞いても、「あの厚生労働省なら、そういう事もあるだろうなぁ(ため息)」と思ってしまうことです。厚生労働行政に対する信頼は完全に地に墜ちています。
こんな体たらくだから、若者は年金払わず、職探しの振りをして失業手当の延長受給ばかり考えてしまうのではないでしょうか。

我々社労士の親分省庁でもあるので、なんとかしっかりやってほしいものです。

スティーブ・ジョブズと日本

2011-10-08

今日、栄のアップルストアの前を通りかかりました。

そこには・・・。

IMG_1881.JPG

ジョブズに手向ける花やリンゴがありました。

また、通りすがるアップルとは全く縁もゆかりもなさそうな人達も、この光景を見ると直ぐにジョブズの事だと分かるのです。その花たちを見て、話題がアップルに、ジョブズに移っていくカップル達を見かけました。

スティーブ・ジョブズと言う人への評価は様々で、同じスティーブでもウォズニアックの方が断然凄くて、ジョブズはそれに乗っかっただけだ、と言う批判もあります。

しかし、考えて見ると、単なる一企業の元社長が死んだだけなのに、それも海の向こうの会社の社長が、です。それなのに、多くの日本人が花を手向け、語り合っているというその景色について、日本の経営者の方達は、もっと真剣に考えた方が良いのではないかと思いました。

仮に日本を代表する企業、例えばトヨタ、ソニーパナソニックと言った巨大企業の指導者がなくなった時、いま同じように世の中が騒ぐでしょうか。下手をすれば誰が社長かも分からないと言う事になってしまう可能性もあります。

かつては日本にもそういうカリスマ経営者はたくさんいたと思います。松下幸之助、本田宗一郎など、死後何年も経っても著書が売れるほどに敬愛されています。ですから、そういうカリスマが日本人からは誕生しないという事はないのです。

スティーブ・ジョブズは、SONYのような会社を創りたいと願って起業したのです。

そうした事を考えると、なんだか日本の縮図がそこに見えるようで、少し寂しい気分になってしまいました。

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